モール泉・黒湯とは?|茶色や黒いお湯の正体と、泉質名に出てこない理由を現場スタッフが解説

温泉について学ぶ

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浴槽をのぞいたら、お湯が紅茶のような茶色、あるいはコーヒーのような黒褐色。足を入れると底が見えない。初めて見ると「これ、本当に入って大丈夫なの?」と身構えてしまう色です。

これが「モール泉」あるいは「黒湯」と呼ばれるお湯です。北海道の十勝川温泉で有名なモール温泉、そして東京の大田区や蒲田あたりの銭湯で親しまれている黒湯。どちらも色の濃さで知られています。

そしてこの二つには、面白い共通点があります。どちらも温泉分析書を見ても、その名前はどこにも書かれていないのです。「モール泉」も「黒湯」も、温泉法で定められた泉質名ではありません。

この記事では、茶色や黒いお湯がなぜその色になるのか、なぜ泉質名に現れないのか、そして色の濃い湯を扱う施設側がどこに気を使っているのかを整理します。温泉の色の見方が変わる話だと思います。

モール泉とは|植物が溶け込んだお湯

モール泉は、植物由来の有機物が溶け込んでいることで色がついた温泉を指す呼び方です。

「モール」はドイツ語の Moor に由来するとされ、湿原や泥炭地を意味します。ドイツやオーストリアには泥炭を使った入浴の文化があり、その名前が日本の温泉の呼び名として使われるようになったと説明されることが多いです。ショッピングモールとは何の関係もありません。

できかたを簡単に言えば、こうです。かつてその土地が湿原や湖沼だった時代、植物が大量に積み重なり、地中で長い時間をかけて分解されていきます。分解しきらずに残った有機物が地層の中に蓄積し、そこを通る地下水に溶け込んでいく。この有機物の正体が腐植質(ふしょくしつ)で、フミン酸やフルボ酸と呼ばれる成分がその中心です。

腐植質は、水に溶けると黄色から褐色、濃ければ黒褐色に見えます。紅茶やウーロン茶の色に近い見え方をするのは、同じように植物由来の成分が溶けているからです。つまりモール泉の色は、何千年、何万年という時間をかけて植物が溶け込んだ色ということになります。

北海道の十勝川温泉は、このモール温泉で全国的に知られています。モール温泉は北海道遺産にも選定されており、地域の資源として扱われています。日本の温泉のでき方の全体像は日本はなぜ温泉が多いのか?で解説しているので、火山とは別の文脈で生まれる温泉として読むと分かりやすいと思います。

黒湯とは|東京の地下にある「化石水」

一方の黒湯は、関東平野、とくに東京の臨海部で古くから銭湯に使われてきたお湯です。

東京都の公式な説明では、特別区(大田区など臨海部)について次のように整理されています。淡褐色や黒褐色の水が得られ、「黒湯」と呼ばれて古くから銭湯などで使われてきた。メタけい酸や炭酸水素塩類を含み、25度未満の鉱泉である。そして大昔の海水に由来する「化石水」とされている——という内容です。

東京の地下には上総層群(かずさそうぐん)という地層が深くまで分布していて、水を含みやすい層が多くあります。そこを地下数百メートル以上掘削し、強力なポンプで汲み上げることで温泉が得られます。近年この大深度掘削による温泉が増えているのも、都の資料に書かれているとおりです。

熱源については、火山がない場所でも地下は深いほど温かくなります。火山がない場所の地温勾配は地下100メートルあたり約3度上昇するとされています。だから火山がない東京でも、深く掘れば25度を超える水に届く。黒湯が「火山のない街の温泉」として成立するのは、この理屈です。

黒湯の色も、やはり地層に含まれる植物由来の有機物が溶け込んだものと説明されます。つまり黒湯とモール泉は、色のつき方としては同じ仲間です。北海道のものを「モール温泉」、東京のものを「黒湯」と呼び分けているだけ、という見方もできます。

なぜ温泉分析書に「モール泉」と書かれていないのか

ここが、この記事でいちばん伝えたい部分です。

温泉の泉質名は、環境省の「鉱泉分析法指針」に従って決められます。その分類のしかたは、はっきり決まっています。

溶けている物質の総量が一定以上ある塩類泉の場合、まず陰イオンの主成分で大きく分けます。塩化物イオンが主成分なら塩化物泉、炭酸水素イオンなら炭酸水素塩泉、硫酸イオンなら硫酸塩泉。次に陽イオンの主成分で、ナトリウム-、カルシウム-、マグネシウム- などと細分します。

さらに、特別に扱われる成分があります。遊離二酸化炭素、総鉄イオン、水素イオン、よう化物イオン、総硫黄、ラドン。これらは定められた限界値以上含まれていれば、「含鉄-」「含よう素-」のように泉質名の前に付記されます。

この一覧のどこにも、腐植質は入っていません。

面白いのは、腐植質がまったく無視されているわけではないことです。鉱泉分析法指針には「腐植質の定量」という項目がきちんと設けられていて、重量法による定量の方法まで定められています。つまり測る方法は決まっているのに、泉質名を決める成分には含まれていないという状態なのです。

お湯の色についても同じです。指針では外観(色および清濁)が知覚的試験の項目として定められていて、現地で採水した直後と試験室に到着したときの2回、記録することになっています。色はちゃんと記録される。でも、それが泉質名になることはありません。

だから「モール泉」や「黒湯」は、分析書に書かれる泉質名ではなく、その湯の性格を表すために現場や地域で使われてきた呼び名ということになります。温泉の名前の付け方についても、東京都の資料に「命名について温泉法上の定めはありません」と明記されています。源泉名は申請者が自由に決められるのです。

では分析書には何と書かれているのか

モール泉や黒湯の分析書を見ると、泉質名としてはナトリウム-炭酸水素塩泉やナトリウム-塩化物泉、あるいは成分の総量が足りなければ単純温泉と書かれていることが多いです。

これは「モール泉だと思っていたのに単純温泉だった」という話ではありません。分類の軸が違うだけです。分析書は陰イオンと陽イオンで湯を分類する仕組みなので、腐植質の多さは表に出てこない。そのぶんが呼び名として補われている、と考えてください。

泉質名の読み方そのものは温泉成分表示の見方と温泉成分の種類一覧(療養泉10種まとめ)で解説しています。重なることの多い泉質については炭酸水素塩泉とは?と単純温泉とは?もあわせてどうぞ。

入ったときの感触

モール泉や黒湯は、肌がつるつる、あるいはとろりとした感触になると言われることが多いお湯です。

理由としては、アルカリ性寄りのものが多いこと、炭酸水素塩泉と重なることが多いことが挙げられます。アルカリ性のお湯が古い角質や皮脂をやわらかくすることで、すべすべした感触が生まれる。このあたりのしくみは温泉のツルツル・キシキシの正体(浴感とは?)で詳しく書いています。pHと浴感の関係は温泉のpHとは?も参考になります。

「美人の湯」「美肌の湯」と紹介されることも多いお湯ですが、肌への反応には個人差があります。肌が敏感な方や、つっぱりや乾燥を感じる方は、上がり湯で軽く流すという選択もあります。気になる症状があるときは無理をせず、医療機関など専門家にご相談ください。肌や髪への影響については温泉で肌が荒れる人がやりがちなミス、温泉で髪がギシギシになる理由もあわせて読んでみてください。

そしてもうひとつ、色の濃い湯には実用的な注意があります。白いタオルや下着に色が移ることがあるという点です。多くの場合は洗えば落ちますが、気になる方は白いタオルを浴槽に浸けないようにしてください。これは成分が濃いお湯ではよくある話です。

色が濃いお湯を扱う施設側の事情

ここからは現場の話です。色の濃いお湯は、見た目が個性的で喜ばれる一方、管理する側からするとなかなか手強い相手です。

濁度や色度で「汚れ」を判断できない

浴槽水の管理では、濁りの程度を表す濁度と、色の程度を表す色度が指標として使われます。ところがモール泉や黒湯では、この数値がもともと高い。成分由来の色なので、汚れているから色がついているわけではありません。

つまり透明なお湯の施設なら「濁ってきた=何かおかしい」と判断できるところを、色の濃い湯では別の手がかりで判断する必要があります。濁度と色度の考え方は温泉の濁度と色度とは?で整理しているので、あわせて読むと管理の難しさが見えてくると思います。

では何を見ているのか。浴槽のふちや壁を触ったときのぬめり、湯面に浮く皮脂の膜、においの変化、そして数値としての残留塩素です。見た目で分からないぶん、触覚とにおいと測定値の比重が上がるというのが実感です。

残留塩素が上がりにくい

これが実務的にいちばん大きい論点です。

塩素は有機物と反応して消費されます。腐植質は有機物そのものですから、色の濃い湯は塩素を食うという性格を持ちます。薬液を同じだけ入れていても、透明な湯の浴槽より残留塩素が上がりにくい。入浴者が増える時間帯は、そこに汗や皮脂の分が上乗せされます。

塩素が上がらない原因は複数あって切り分けが必要なのですが、泉質そのものが効いている場合もあるというのは、知っておく価値がある話です。詳しくは温泉施設で塩素が上がらない!|原因8つと現場の対処法にまとめています。消毒そのものの考え方は温泉の消毒(塩素)は質を下げるのかをご覧ください。

加えて、色の濃いお湯では比色による測定が読みにくいことがあります。残留塩素の測定は試薬の発色で判断する方法が一般的なので、元の水に色がついていると見分けづらくなる。測り慣れた目と、明るい場所での確認が必要になります。

ろ過すると色が薄くなる

これは、色の濃いお湯を売りにしている施設にとって切実な問題です。

ろ過は水中の濁りや汚れを取る装置ですから、溶けている有機物の一部も一緒に捕まえてしまうことがあります。結果として循環ろ過を回すほど湯の色が薄くなるという現象が起きます。「この浴槽は色が濃いのに、別の浴槽は薄い」という違いの裏には、方式の差が隠れていることがあります。

だから色を大事にしたい施設は、かけ流しで提供する浴槽を分けたり、ろ過の方式を工夫したりします。循環とかけ流しの違いは循環式温泉とは?と源泉かけ流しとは?で解説しています。

ろ過のしくみは温泉のろ過と逆洗って何?からどうぞ。

浴槽や設備が着色する

濃い色の湯に長く触れていると、タイルや目地、浴槽の表面がじわじわと色づいていきます。清掃で落としきれない着色が残ることもあり、改修のタイミングで初めて元の色を思い出す、ということも起こります。

これは汚れではなく成分の付着なので、衛生上の問題とは別の話です。ただし着色で表面の状態が見えにくくなるのは管理上のやりにくさにつながります。タイルの浮きや目地の劣化は色の下でも進むので、目視だけに頼らない点検が必要になります。

よくある誤解

「黒湯は汚いお湯」ではない

いちばん多い誤解です。黒湯の色は、地層の中の植物由来の成分が溶け込んだものです。汚れが溜まって黒くなっているわけではありません。

とはいえ「色が濃い=成分が濃い」とも言い切れません。色の濃さを決めているのは腐植質の量で、それは溶存物質の総量とは別の話です。だから色が薄い黒湯もあれば、濃いけれど成分の総量は多くないお湯もあります。

「モール泉は北海道だけ」ではない

モール温泉といえば十勝川、というイメージは強いのですが、植物由来の成分が溶けた温泉は各地にあります。東京の黒湯も、色のつき方としては同じ仲間です。平野部や盆地、かつて湿地や湖沼だった土地には、条件が揃う場所があります。

地質と泉質の関係については泉質×地質の関係マップで地域ごとの傾向を整理しています。

湯の花とは別のもの

お湯が濁って見える現象には、成分が固まって粒になった湯の花によるものもあります。こちらは浮いている固体なので、溶けて色がついている腐植質とは別です。触ったときにざらつく粒があるかどうかで区別できることが多いです。温泉の湯の花とは?もあわせてどうぞ。

モール泉・黒湯の楽しみ方

せっかく珍しいお湯に入るなら、見るところを知っておくと面白さが増します。

まず色の濃さです。湯口から出てくるお湯と、浴槽の端のお湯で色が違うことがあります。手を入れてみて、どのくらいの深さで見えなくなるかを確かめるのも、その湯の濃さを体感する方法です。

次に脱衣所の掲示です。泉質名が何と書かれているか、加水・加温・循環・消毒の表示はどうなっているか。「モール泉」という文字を探しても見つからないことが確認できれば、この記事の話が実感として入ってくると思います。源泉名のほうに「モール」が入っていることはありますが、それは申請者が付けた名前です。

そして、浴槽が複数あるなら色を見比べてみてください。循環式とかけ流しで色の濃さが違う施設では、その差が目に見えます。設備の違いが見た目に出る、分かりやすい例です。

まとめ|色は泉質名にならないが、立派な個性

モール泉と黒湯は、どちらも地層に含まれる植物由来の有機物、腐植質が溶け込んで色がついた温泉です。北海道の十勝川温泉のモール温泉は北海道遺産に選定され、東京の黒湯は臨海部の地下に眠る「化石水」として銭湯文化を支えてきました。

そしてどちらも、温泉法の泉質名ではありません。鉱泉分析法指針は陰イオンと陽イオンの主成分で泉質を分類し、特別に付記される成分も定められていますが、そこに腐植質は入っていません。腐植質の定量方法は指針に設けられ、色も知覚的試験として記録されるのに、泉質名にはならない。だから分析書には、ナトリウム-炭酸水素塩泉や単純温泉と書かれています。

施設側から見れば、色の濃いお湯は手強い相手です。濁度や色度で汚れを判断できず、有機物が塩素を消費し、測定は読みにくく、ろ過すれば色が薄くなり、浴槽は着色していく。それでもこの色を守っている施設があるのは、それがその土地の個性だからです。

次に茶色いお湯や黒いお湯に出会ったら、身構える前に脱衣所の掲示を見てみてください。そこに書かれていない名前のほうが、その湯のことをよく表している——そんな温泉です。設備のしくみ全体は温泉施設の設備のしくみまとめからたどれます。

参考文献

ひねこじた 温泉

温浴施設で5年以上働く現役スタッフ。水質や塩素の管理、ろ過設備の運転など、お湯を支える仕事をしています。現場で身につけた知識をもとに、温泉の仕組みや困りごとを解説しています。

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