温泉旅行で露天風呂を覗き込んだ瞬間、「お湯が茶色い…!」と驚いた経験はありませんか。汚れているわけでも、落ち葉が入っているわけでもなく、湯船そのものが赤茶色や黄褐色に染まっている。それが含鉄泉(がんてつせん)です。
含鉄泉は、10種類ある療養泉の中でも特に「見た目の個性」が強い泉質です。温泉施設で働いていると、この独特な色合いに驚くお客様の姿をよく目にします。今回は、含鉄泉がなぜ茶色くなるのか、その効能や入浴時の注意点まで、地質の視点と現場の視点の両方から解説します。
含鉄泉とは何か
含鉄泉は、温泉法で定められた療養泉10種類のうちの一つです。
温泉法での定義
含鉄泉は、次の条件を満たす温泉です。
総鉄イオン(Fe²⁺+Fe³⁺)が20mg/kg以上
つまり、鉄分を一定以上含んでいることが条件です。他の成分もあわせて持っていることが多く、「含鉄-炭酸水素塩泉」「含鉄-硫酸塩泉」のように、複合的な泉質名で表記されます。
日本では比較的珍しい泉質
単純温泉や塩化物泉と比べると、含鉄泉は数が少なく、出会えると少し「当たり」感のある泉質です。ただし、成分分析書をよく見ると、メインの泉質ではないものの、鉄分が含まれている温泉は全国に意外と多く存在します。
なぜ含鉄泉は茶褐色なのか
含鉄泉を語る上で、最も面白いのが「色の正体」です。
湧出した直後は、実は無色透明
意外に思われるかもしれませんが、含鉄泉は地下から湧き出した瞬間は無色透明です。源泉の湧出口を直接見ると、驚くほど普通のお湯に見えます。
では、なぜ浴槽に溜まるころには茶色くなるのか。答えは「空気との反応」にあります。
鉄イオンの酸化反応
地下深くでは、溶存酸素がほぼ存在せず、弱酸性の環境であることが多いです。この条件下では、鉄は 二価鉄(Fe²⁺) として水に溶けた状態で存在できます。
しかし、お湯が湧き出して空気に触れた瞬間、酸素と反応して 三価鉄(Fe³⁺) に酸化されます。この三価鉄が水と結びつき、水酸化鉄 Fe(OH)₃ として微粒子状に析出します。
この水酸化鉄の微粒子こそが、あの独特な赤茶色・黄褐色の正体です。
地質学的に見ると
鉄分を豊富に含む温泉が湧く場所には、次のような地質的背景があります。
- 鉄を含む火山岩や堆積岩の地層を地下水が通過している
- 地下深部の還元環境で、岩石から鉄イオンが溶け出しやすい
- 二酸化炭素を含む地下水が、鉄を溶かし込みやすい
つまり、地下の「酸素がない」環境と「鉄を含む岩石」の組み合わせがあって、初めて含鉄泉は生まれます。
温泉はなぜそこに湧くのか?|地質・火山と温泉の関係を現場スタッフが解説
含鉄泉の2つのタイプ
含鉄泉は、同時に含まれる成分によって大きく2つのタイプに分けられます。
①含鉄-炭酸水素塩泉型
炭酸水素イオン(HCO₃⁻)を多く含むタイプです。炭酸水素塩泉の性質もあわせ持ち、肌への感触がやや柔らかいのが特徴です。
代表例:長湯温泉(大分県)、二股ラジウム温泉(北海道)
②含鉄-硫酸塩泉型
硫酸イオン(SO₄²⁻)を多く含むタイプです。硫酸塩泉の性質と合わさり、「傷の湯」的な要素も持ちます。
代表例:伊香保温泉(群馬県)、塩原元湯温泉(栃木県)
塩化物泉と結びつくタイプも
少数派ですが、塩化物泉の性質を持つ含鉄泉もあります。有馬温泉の金泉が有名で、世界的にも珍しい高濃度のタイプです。
含鉄泉の効能
含鉄泉は、古くから「婦人の湯」と呼ばれてきました。
一般的適応症
他の温泉と共通する、温熱効果による効能です。
- 筋肉や関節の慢性的な痛み、こわばり
- 冷え性
- 末梢循環障害
- 疲労回復
- ストレスによる諸症状
鉄分による効能(飲用の場合)
含鉄泉は、適切な管理のもと飲用が認められる場合、鉄欠乏性貧血に対する効果が期待されるとされています。ただし、これは医療行為ではなく、必ず医師の指導のもとで行う必要があります。
【注意】 温泉の効能は個人差が大きく、疾患の治療を保証するものではありません。持病がある方や飲用を検討される方は、必ずかかりつけの医師にご相談ください。
温泉の効能は本当に効くの?|リウマチ・神経痛など疾患別にわかりやすく解説
保温効果が高い
鉄分を含む温泉は、入浴後に体が冷めにくいと言われます。これは、塩化物泉や硫酸塩泉など、他の成分との複合効果によるものです。
入浴時の注意点
含鉄泉に入る際に、知っておくと役立つポイントがあります。
①タオルや水着への色移り
これは確実に起こります。白いタオルや下着が茶色に染まると落ちにくいため、汚れてもいいタオル・古いタオルを持参することをおすすめします。
温泉施設によっては、「白タオルは色が付きます」と注意書きを掲示していることもあります。
②独特の金気臭(かなけしゅう)
鉄分が多い温泉には、鉄さびに似た独特の香りがあります。「血の匂い」「墨汁のような香り」と表現する方もいます。好き嫌いが分かれますが、これも含鉄泉の個性です。
③髪の毛への影響
硫黄泉ほどではありませんが、鉄分が髪に付着すると、ゴワつきや変色の原因になることがあります。湯上がりにしっかりシャワーで流すと安心です。
④濃い色に見えても、透明度は日によって違う
これは気温・外気との接触時間・湯の流れの速さなどで酸化の進み具合が変わるためです。
「薄い日=質が悪い」ではなく、単に酸化の度合いが違うだけです。
含鉄泉が向いている人・向かない人
向いている人
- 冷え性で、しっかり体を温めたい方
- 「いかにも温泉らしい」色や香りを楽しみたい方
- 貧血気味で、飲泉を試したい方(※医師相談のうえで)
向かない・注意が必要な人
- 肌がとても敏感な方(鉄分の刺激が気になる場合がある)
- 白いタオルや高価な水着しか持っていない方
- 鉄分の香りがどうしても苦手な方
代表的な含鉄泉
日本には、名湯と呼ばれる含鉄泉がいくつもあります。
有馬温泉 金泉(兵庫県)
世界的にも希少な、超高濃度の含鉄-塩化物泉です。海水の倍以上の塩分濃度に、鉄分・炭酸・ラジウムが加わった、まさに唯一無二の温泉。湧出時は透明で、空気に触れて時間が経つと強烈な赤茶色になります。
長湯温泉(大分県)
「日本一の炭酸泉」として有名ですが、含鉄-炭酸水素塩泉の性質を持つ源泉も多く、飲泉文化が根付いています。飲泉場が街中にあり、地元の方が日常的に飲んでいる光景が印象的です。
伊香保温泉 黄金の湯(群馬県)
石段街で有名な伊香保温泉のうち、茶褐色の「黄金の湯」が含鉄泉にあたります。もう一つの「白銀の湯」は無色透明の単純温泉で、同じ温泉地で2種類の泉質を楽しめる珍しい場所です。
恐山温泉(青森県)
霊場・恐山の境内に湧く温泉。硫黄も含むため、独特な香りと色合いが特徴です。参拝者が無料で入浴できる湯小屋が有名。
温泉施設スタッフから見た含鉄泉
現場で働く立場から見ると、含鉄泉には独特の苦労があります。
①配管・浴槽への着色
水酸化鉄の析出は、浴槽の壁や配管内にもしっかり付着します。赤茶色のスケール(水垢)として固着し、通常の洗剤では落ちません。定期的な専用洗浄が必要になります。
②湯の花と見間違えられやすい
浮遊する水酸化鉄の微粒子を、湯の花と見間違えて「汚い」と誤解されることがあります。本来、これは温泉成分が析出した自然な現象で、汚れではありません。
③色が薄いことがある
気温や湯使い(かけ流しか循環式か)によって酸化速度が変わるだけで、泉質そのものの濃度は変わっていません。この仕組みを説明すると、多くの方に納得していただけます。
④循環式では濾過が難しい
水酸化鉄の微粒子はフィルターを詰まらせやすく、循環式での管理は非常に手間がかかります。そのため、含鉄泉を提供する施設は、かけ流しを採用していることが多いです。
まとめ
含鉄泉は、「見た目の個性」と「地質の面白さ」が際立つ泉質です。
含鉄泉の定義:
- 総鉄イオン20mg/kg以上
- 療養泉10種類の一つ
- 日本では比較的珍しい泉質
茶色くなる理由:
- 湧出時は無色透明
- 空気と反応してFe²⁺→Fe³⁺に酸化
- 水酸化鉄として析出し、赤茶色に変化
含鉄泉の効能:
- 一般的適応症(温熱効果)
- 「婦人の湯」としての歴史
- 鉄欠乏性貧血への効果(飲用の場合、医師相談のうえで)
入浴時の注意:
- タオル・下着への色移り
- 金気臭
- 色の濃さは日によって異なる
代表的な含鉄泉:
- 有馬温泉(金泉)、長湯温泉、伊香保温泉(黄金の湯)、恐山温泉
含鉄泉は、地中深くで長い時間をかけて鉄を溶かし込み、地上で空気に触れた瞬間に色を変える——そんな「地球の化学反応」を目の前で見られる温泉です。
次に茶褐色のお湯に出会ったら、ぜひその色の裏側にある壮大な地質ストーリーを思い浮かべてみてください。きっと、温泉の見方が少し変わるはずです。
【参考文献】
・環境省「鉱泉分析法指針(平成26年改訂)」 https://www.env.go.jp/council/12nature/y123-14/mat04.pdf
・環境省「温泉の保護と利用」(温泉法に関する通知・ガイドライン等) https://www.env.go.jp/nature/onsen/docs/index.html
・日本温泉協会「温泉分析書の見方」 https://www.spa.or.jp/onsen/4046/










