温泉施設に来ると、きれいなお湯が当たり前のように浴槽に張られています。
お客様からすれば「いつ来ても同じお湯が同じように出ている」のが当然だと思いますし、そうあるべきです。でも、その「当たり前」の裏側には、毎日繰り返される地味な作業があります。
水質管理です。
温泉施設では、営業時間中に何度も浴槽の状態をチェックしています。残留塩素濃度、pH、湯温、透明度、ORPの数値を測定し、記録し、基準から外れていれば調整する。お客様の目に触れることはほとんどありませんが、これがなければ安全も快適さも維持できません。
この記事では、温泉施設のスタッフが毎日どんな水質管理をしているのか、実際の作業内容と現場のリアルをお伝えします。
1日の水質管理の流れ
施設によって細かい運用は異なりますが、大まかな流れはどこも似ています。私の施設での1日を例にして紹介します。
営業前:開店準備の中の水質チェック
朝、出勤してまず行うのは浴槽の目視確認です。お湯の色に変化はないか、浮遊物はないか、臭いに異常はないか。五感を使った確認は、数値測定の前に行う基本中の基本です。
その後、残留塩素濃度とpHを測定し、機械室で湯温を確認します。前の晩の夜間循環中に数値がどう動いたかを把握し、営業開始前に基準値の範囲に入っていることを確認します。もし残留塩素が下がりすぎていれば、オートタイマーを稼働させて濃度を上げます。
この「営業前のチェック」は、お客様を迎える前の最低限の安全確認です。ここで異常が見つかれば、営業開始を遅らせる判断もありえます。実際にそういう事態になったことはありませんが、「もし数値が基準を大きく外れていたら開けない」という緊張感は毎朝あります。

営業中:定期的な巡回測定
営業が始まってからも、水質管理は続きます。
私の施設では、1時間おきに残留塩素を測定しています。厚生労働省のガイドラインや各自治体の条例で定期的な測定が求められていますが、1時間間隔というのはかなり短いほうだと思います。それでもこの頻度にしているのは、塩素の数値は思った以上に速く動くからです。
湯温については、機械室に行くたびに確認しています。機械室にはボイラーや循環ポンプの制御盤があり、各浴槽の温度がモニターで見られるので、塩素の補充や設備の確認で機械室に入るついでに温度もチェックする形です。わざわざ浴槽まで行って温度計を差さなくても、機械室でリアルタイムの数値が把握できます。
営業中の測定で重要なのは、「入浴者数によって数値が変動する」という点です。お客様がたくさん入れば、体の汚れや汗が浴槽に入り、塩素が消費されて残留塩素濃度が下がります。週末の夕方など混雑するタイミングでは、残留塩素の低下が早い。逆に、平日の昼間は利用者が少ないので数値が安定しています。
つまり、測定のタイミングと頻度が重要で、「朝1回測って終わり」では安全を担保できません。
営業後:清掃と翌日への準備
閉店後は浴槽の清掃に加えて、翌日に向けた水質の調整を行います。換水(お湯の入れ替え)のタイミングもこの時間帯が多いです。
完全換水する場合は浴槽を空にして清掃し、新しいお湯を張り直します。部分換水の場合は、一定量を排水して新しいお湯を足す形です。どちらにしても、換水後は再度残留塩素とpHを測定して、翌朝の営業開始に備えます。
何を測っているのか
毎日の測定項目について、もう少し詳しく解説します。
残留塩素濃度
厚生労働省のガイドラインでは、浴槽水の遊離残留塩素濃度を0.4mg/L程度に保つことが推奨されています。これを下回ると殺菌力が不十分になり、レジオネラ菌の繁殖リスクが高まります。
ただし、現場ではガイドラインの数値ぴったりに管理しているわけではありません。
私の施設では、次亜塩素酸ナトリウムの注入にオートタイマーを使っています。タイマーで一定間隔で自動的に塩素が投入される仕組みです。測定して残留塩素が1.5mg/Lに達したらタイマーを止め、下がってきたらまた動かす、というサイクルで管理しています。
「1.5mg/Lは高すぎないのか」と思う方もいるかもしれません。確かに塩素濃度が高いと塩素臭が出やすくなります。しかし、温泉は入浴者が増えれば塩素が一気に消費されるので、ある程度の余裕を持たせておかないと、混雑時にすぐ基準を下回ってしまいます。高めに維持しておいて、入浴者による消費を見込んでちょうどよい範囲に収まるように調整する。これが現場の運用感覚です。
測定にはDPD試薬を使います。浴槽から採水したサンプルに試薬を入れると、塩素濃度に応じて色が変わります。その色を比色板と照らし合わせて数値を読み取ります。デジタル測定器を使う施設もありますが、DPD法が最も一般的です。
「安全性」と「温泉らしさ」のバランスを取るのが、残留塩素管理の難しいところです。塩素が強すぎれば温泉の香りが消えてしまうし、弱すぎれば衛生リスクが上がる。
pH
pHは、お湯が酸性なのかアルカリ性なのかを示す指標です。
源泉そのもののpHは変えようがありませんが、循環ろ過や塩素投入によって浴槽水のpHが変動することがあります。特に次亜塩素酸ナトリウムはアルカリ性なので、投入量が多いとpHが上がる方向に動きます。
pHの変動は、お湯の肌触りにも影響します。アルカリ性に寄ればぬるっとした感触が増し、酸性に寄ればピリッとした刺激が出ることがあります。源泉本来のpHからどれくらい変動しているかをチェックすることで、「お湯が本来の状態を維持できているか」を判断しています。
湯温
浴槽の湯温管理は、快適性と安全性の両面で重要です。
一般的な入浴適温は40〜42℃程度ですが、施設によって設定は異なります。ぬるめの温泉を売りにしている施設もあれば、やや熱めを好む常連客が多い施設もあります。
私の施設では、機械室にある制御盤のモニターで各浴槽の温度をリアルタイムに確認できます。また、配管にも各浴槽ごとに温度計はついていることが多いです。塩素の補充や設備チェックで機械室に入るたびに温度もチェックするので、結果的にかなりの頻度で見ていることになります。
ただし、モニターの数値と浴槽の実際の温度が微妙にずれることもあります。センサーの位置や配管内の温度損失の影響です。お客様から「ぬるい」「熱い」と言われたときは、実際に浴槽側でも温度計で確認します。モニターの数値と体感の間をどう埋めるかは、現場の永遠の課題です。

透明度
数値測定ではありませんが、お湯の見た目の確認も毎回行います。
透明であるべきお湯が濁っていたら、ろ過装置の異常やお湯の老朽化(換水が必要な状態)を疑います。もともと白濁する泉質(硫黄泉など)の場合は、濁り具合がいつもと違わないかを確認します。
浮遊物の有無も重要です。湯の花(温泉成分の結晶)なのか、それ以外の異物なのかを見極める必要があります。ここは経験がものを言う部分で、毎日同じお湯を見ているからこそ「いつもと違う」に気づけます。
測定結果の記録と、その重要性
水質管理で測定と同じくらい重要なのが記録です。
毎回の測定結果は、日付・時刻・測定者名とともに管理台帳に記録します。これは施設の内部管理のためだけでなく、保健所の立入検査で提示を求められる書類でもあります。
記録を残す意義は、検査対策だけではありません。日々の数値の推移を見ることで、「最近、残留塩素の消費が早い」「この時間帯に湯温が下がりやすい」といった傾向が見えてきます。トラブルの兆候を早期に発見するためのデータにもなるのです。
逆に言えば、記録がいい加減だと、何か起きたときに「いつから異常だったのか」が分かりません。記録は施設の安全を守る証拠であり、スタッフ自身を守る証拠でもあります。
現場で実際に苦労すること
水質管理の仕組みだけを見れば、「測って、記録して、調整する」のシンプルな繰り返しです。でも、現場にはマニュアル通りにいかない場面がたくさんあります。
塩素の効きが悪い日がある
同じ量の次亜塩素酸ナトリウムを入れても、残留塩素がなかなか上がらない日があります。
原因として多いのは、入浴者の多さ(有機物の持ち込みで塩素が消費される)、湯温が高い日(塩素の揮発が早くなる)、そして源泉の成分です。特に鉄分を多く含む温泉では、鉄イオンが塩素と反応して消費してしまうことがあります。
こういう日は、タイマーを止めるタイミングが来ず長時間稼働、それでもダメなら手動追加を行います。
塩素臭とのバランス
お客様から「塩素臭がする」と指摘されることがあります。
安全のためには残留塩素を維持しなければなりませんが、温泉に来て「プールみたいな臭い」がしたら興ざめです。特に硫黄泉のように独特の香りを楽しみに来ている方にとっては、塩素臭は大敵です。
現場では、塩素濃度を基準範囲の下限に近いところで維持しつつ、換水頻度を上げてお湯の鮮度を保つことでバランスを取っています。施設によっては、塩素以外の消毒方法(オゾン、紫外線)を組み合わせて塩素の使用量を減らす工夫をしているところもあります。
複数浴槽の同時管理
大きな施設には、内湯・露天風呂・水風呂・サウナ水風呂・炭酸泉など複数の浴槽があります。それぞれ泉質も温度設定も違い、塩素の消費速度も異なります。
全浴槽を1時間おきに測定して回ると、それだけで時間がかかります。しかも営業中は接客業務やフロント対応もあるので、「測定の時間だけど、お客様対応が入った」ということも日常的に起きます。限られたスタッフで、測定のタイミングを守りながら他の業務もこなす。地味ですが、現場の段取り力が問われる場面です。
夏と冬で管理の難しさが変わる
夏場は気温が高く、塩素の揮発が早くなります。さらにお客様の汗の量が増えるため、塩素の消費も早く、残留塩素を保つのが大変な季節です。
冬場は逆に塩素は安定しやすいのですが、湯温の維持が課題になります。特に露天風呂は外気温の影響をもろに受けるため、ボイラーの負荷が大きくなります。
春秋が一番楽かと言うと、花粉の季節は露天風呂に花粉や黄砂が降り込んでお湯が汚れやすくなるし、秋は落ち葉の処理がある。結局、楽な季節は存在しません。
レジオネラ菌対策としての水質管理
水質管理の中でも、施設が最も神経を使っているのがレジオネラ菌対策です。
レジオネラ菌は温水環境で繁殖しやすく、感染すれば重症肺炎を引き起こすこともあります。温泉施設は、この菌にとってまさに「好条件」が揃った環境です。
毎日の残留塩素管理は、レジオネラ菌の繁殖を抑える最も基本的な手段です。加えて、定期的な水質検査(レジオネラ菌の有無を外部検査機関に依頼して確認する)、配管洗浄、換水、ORPの測定も重要な対策です。
どれか一つだけやっていれば安全というものではなく、日々の塩素管理+定期的な換水+配管洗浄+外部検査のすべてを組み合わせて初めて安全が成り立つのが実態です。
お客様に知っておいてほしいこと
最後に、この記事を読んでくださった一般の方にお伝えしたいことがあります。
温泉施設の浴槽に張られているお湯は、何もしなくても安全で快適な状態が維持されているわけではありません。スタッフが毎日何度も測定し、調整し、記録し、清掃して、ようやく「いつ来ても同じように気持ちいい温泉」が維持されています。
脱衣所に掲げてある成分表示の中の「消毒:あり」という表記は、施設が安全のためにきちんと管理をしている証です。
もし温泉施設で「塩素の臭いがするな」と感じたときは、「ちゃんと管理されている施設なんだな」と少しだけ思っていただけると、現場のスタッフとしては救われます。
まとめ
温泉施設の水質管理は、残留塩素・pH・湯温の測定を1日に何度も繰り返す地道な作業です。営業前の確認、営業中の巡回測定、営業後の調整と記録。季節や入浴者数によって数値は変動し、マニュアル通りにいかない日もあります。
それでも毎日続けるのは、お客様の安全と快適さを守るためです。温泉の「当たり前」を支えている裏側の仕事。次に温泉に入るとき、お湯のきれいさの裏にある日々の管理を少しだけ思い出してもらえたら嬉しいです。
【参考文献】
厚生労働省 「レジオネラ対策のページ」
厚生労働省 「循環式浴槽におけるレジオネラ症防止対策マニュアル」(令和元年12月17日改正)
厚生労働省 「公衆浴場における衛生等管理要領等について」(令和元年9月19日)
厚生労働省 「入浴施設の衛生管理の手引き」(令和4年5月13日)













